ヤマあそび

山で遊ぶ、というか山に遊んでもらった記録をメインに

槙尾道(長坂経由)

高野山へ昼頃に到着したので、帰りも少し京大阪道を下ってみようかと思った次第。

調べてみると紀伊神谷駅までなら明るいうちに余裕を持って辿り着けそうでした。まずは京大阪口から神谷地区を目指します。

その後、思わぬ展開になろうとは…。

 

目次

 

京大阪口〜極楽橋

下りしなの最初の方は写真撮影をしてなかったので上りしなに撮った写真になりますが、ご容赦ください。

 

京大阪口

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7つある高野山への入口(高野七口)の一つ。

 

女人堂
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女人堂からはバス道を少し歩くことになります。

200mくらいでしょうか、歩いて行くと直進はバス専用で「人や車の進入禁止」の看板、その右手に下りの道(不動坂の案内板あり)も見えてきます。

 

古の不動坂入口

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右手の下りの道(不動坂)を進むと古の不動坂との分かれ道に差し掛かります。

 

古の不動坂入口その2

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すぐに道が二手に分かれます。

道的には右手の方が整っていますので間違いやすいのですが、左手に進むのが正解です。

 

分かれ道
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左手の道を進む(下る)こと数十mで左に道があります。少し分かりにくいので、注意が必要です。崖沿いに左へ進んで行くイメージです。

数百mで清不動堂の脇に出ます。

 

いろは坂への分かれ道
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清不動堂の前の橋を渡ったところに分かれ道があり道標が立っています。

左手の地道を進めばいろは坂を通るルートに。

 

高野山ケーブルカー
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もうすぐ極楽橋です。

 

クネクネ曲がっている橋と南海高野線の電車
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極楽橋を過ぎて歩いているとクネクネ曲がっている橋に。

時刻表を確認すると少し待てば電車が来るので待ってみました。

遠くからレールと車輪が擦れるキーという音とともに電車が近づいてきました。

 

旧白藤小学校
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京大阪道に面した入口からの写真です。

上りしなにお会いした地元の方が偶然居られたので、写真を撮らせていただきました。

お話をしていると「槙尾道(長坂)」という高野山への登山道を整備しておられるとかで、道を教えていただきました。

高野下の駅まで1時間半程度の道のりとのこと。

急遽ですが、行き先変更することにします。

 

分かれ道遠景
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旧白藤小学校を出て京大阪道を学文路方面に進むと三叉路が見えてきます。

 

尾道(長坂)の道標
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三叉路の角に道標。

左 槙尾道(長坂)です。


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早くも少々不安…。次は三叉路を右、道標を辿って行けば大丈夫という話でしたが…。

道に迷っても、誰も通りかかってくれそうにない(笑)


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レトロな車が朽ちています。

先の方に分かれ道が。

 

分かれ道その2
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ここで九度山町に入ります。

砂利道との合流ですが三叉路。よく見ると道標があります。

 

道標その2
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右 槙尾道(長坂)。


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右の砂利道を進むと良い感じの道になってきます。

石の道標がひっそりと立っています。

 

石の道標(大正十三年五月建立)

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下りしなに見える面には「至 椎出」と刻まれています。上りの面には「至 高野山」。

読みづらいですが、距離も刻まれています。

椎出まで「四二〇〇メートル」

高野山まで「四八〇〇メートル」

この後もところどころに石の道標(大正十三年五月建立)が残っていました。

 

分かれ道その3
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先程の道標を過ぎるとすぐに分かれ道に。

道案内がありません…。

右に行ってみましたがどうも違う感じ。すぐに引き返します。結果的に左が正解でした。


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左に進むとこんな感じで、竹の葉が一面に敷き詰められた道です。

 

細い山道に
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広かった道が終わり細い道になる辺りの写真がないのですが、広い道を10分ほど進むと建物が建っている敷地に着いてお終いに…。

道案内が見つからず途方に暮れていると、左手の山裾に石の道標(大正十三年五月建立)があり、細い道が続いていました。

引き返す時間を計算しつつ戻る覚悟で進んでみます。

 

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本格的に山道になってきます。


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少しずつ下って行く感じです。

 

石の道標その3
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5分ほど走ったところで石の道標がありました。

「至 椎出」と刻まれています。

道はあっているようなので、ここからは歩きに。

 

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道の側にお地蔵さんとベンチがあります。


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ここにもベンチが置かれています。まだ新しい感じです。

石の道標もあります。

 

石の道標その4
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「至 椎出」、「至 高野山」と刻まれています。

こちらも大正十三年五月建立。

椎出まで「二四〇〇メートル」

高野山まで「六六〇〇メートル」

 

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道が少し崩れて狭いところもありますので、油断禁物です。

 

苅萱堂跡

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荒れ地に到着しました。

どこに道が続くのか分からず少しウロウロしたところ、建物の脇に道を発見。

 

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他にも進めそうな道(獣道?)はあったのですが、結果的にこちらが正解でした。


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階段を下りたところで案内板が草に埋もれながらも辛うじて道案内してくれています。


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コンクリート舗装された道に。

 

石の道標その5
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すぐに石の道標もありました。

 

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分かれ道その4
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結構急な下り坂。

右手に上り坂がありますが、たぶん真っ直ぐが正解と地図で判断(心配なので写真撮影…)。

 

分かれ道その5
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苅萱堂から10分ほど歩いたところです。

左に進みます。

 

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振り返って撮影。

 

分かれ道その6
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またまた分かれ道です。順方向で撮影すると分かりにくいので、振り返って撮影したモノになります。

写真右奥の方から歩いてきました。

左手の道(長坂)に進みます。

 

案内板(長坂、苅萱堂)
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いよいよ長坂に入ります。


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ちなみに長坂を上ってきた場合はこんな感じです。

左に曲がって上って行くと苅萱堂。

 

長坂
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延々とコンクリート舗装された急な下り坂…危険な香りがします…膝が悲鳴をあげずにもってくれればいいのですが。


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たまに後ろ向きに歩いて膝を伸ばしたりしながら下ります。

 

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まだまだ急な下り坂です。

 

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やっと急な下り坂(長坂)は終わります。

長坂だけでちょうど10分かかりました。


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長坂の上り口を撮影。

 

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ふと見ると、民家の前に案内板。

尾道(新高野街道)は直進とのこと。

「左 長坂」って書いてない…。


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ゆっくりと下ります。

分かれ道ですが、よもや上ることはないでしょう。地図で見ても大丈夫そうです。

 

御成婚記念道程標
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説明書きには「大正十三年 昭和天皇の御成婚を記念して道程標が椎出、神谷、女人堂に建立され」と書かれています。

そう言えば、今朝、京大阪道を歩いている時に左手にありました。

 

郵便局
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いよいよ高野下駅まであと僅かに。


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とうとう高野下駅です。

無事到着できました。

 

椎出周辺ガイドマップ

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ハイキングコースの案内に「新高野街道(槙尾道)コース」の文字が。

高野下駅から女人堂まで9.3km。

 

高野下駅時刻表
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2018年(平成30年)5月現在、なんば方面は1時間にほぼ2本。高野山方面は朝6時前からあります。

 

番外編(レールの豆知識)f:id:yamaAsobi:20200126200639j:image

日本で鉄道が開通した当初はレールをイギリスから、その後ドイツやアメリカなどからも輸入していたとのこと。


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よく見ると駅舎の柱や梁はレールを加工して造られています。


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黒く塗られている部分にロールマーク。

1897年 カーネギー製鋼会社(アメリカ)製。

NANKAIの刻印も入っています。

 

本日の山歩きデータ(下り)

出発時刻 不明(16時頃に極楽橋

到着時刻 17:30(南海高野線 高野下駅

所要時間 不明(女人堂から約2時間)

概算距離 約9km

・京大阪道 女人堂→いろは坂極楽橋→神谷地区

・槙尾道(長坂)神谷地区→長坂→高野下

ルート最寄り駅

・出発地点 南海電鉄(ケーブルカー) 高野山

・到着地点 南海高野線 高野下駅

・途中地点 南海高野線 紀伊神谷駅

 

ルートの感想(槙尾道

山道(未舗装)を少しですが歩くことができるので、山歩きをしたい方には京大阪道を下るよりオススメです。

最後の下り坂(長坂)はコンクリート舗装で、名前のとおり延々と続く坂なので脚にきました。